石橋代表個人のブログ さかいハッタツ友の会

発達障害の自助グループを主宰してます。家族会と当事者会があります。開催回数と年間のべ参加者数で日本一のセルフヘルプグループです。

コロナ禍も意外と悪くないと思っている個人の雑感

石橋尋志 さかいハッタツ友の会 代表
 
私は15年前から大阪府を中心に発達障害自助グループを主宰してきました。コロナ前までは、年間240回以上開催していましたが、2020年と2021年に関しては、開催会場が閉鎖されたことにより、半数近くが休会を余儀なくされました。それでも少人数での開催やオンラインを駆使して、自助グループの運営を続けています。緊急事態だからこそ、当事者や家族たちにとって自助グループは求められていると感じているからです。
一方、私個人に関しては、コロナ禍においても大きな変化なく、大差ない日常を過ごしています。本業の建設会社は以前より仕事量が増えたくらいです。むしろ、多くのイベントや飲み会や会合が中止になったことで、家庭内で過ごす時間が増え、家事遂行能力が格段に向上しました。
私の感じているコロナ禍による大きな変化とは、「リアルで直接対面すること」の価値が向上したということ。つまり「顔あわせて会ってまで話をすることに理由が必要な時代」になった、ということです。今までは、オンラインや電話などで要件を伝えることは失礼だと捉える人も多かったのではないでしょうか。ところがコロナ禍においては、礼儀のために感染リスクを犯すことこそ、礼を失するという文化になったと言えます。そうなれば、現実的に効率の良いコミュニケーションが取れるようになり、私個人は以前より円滑に物事を進めることが出来るようになったと感じています。形式的な会議や「お付き合い」のための飲み会は無くなり、テレワークによって通勤時間は短縮し、仕事上のやり取りは極力オンラインで進行していく。今まで社会生活のために必要だと言い聞かせて浪費していたリソース(時間や金銭など)を、本来の自分の生き方に配分できるようになりました。具体的には、書籍を読んだり、映画鑑賞や趣味の時間が増え、日頃の発達障害の活動を文章としてまとめることも出来るようになりました。ゆえに、コロナ禍による変化を、私個人は好意的に受け止めています。
少し大きな視点で考えてみると、人類の歴史は大規模な感染症や戦争・自然災害に何度も振り回されてきました。現代においても例外ではなく、自分たちの日常がほんの些細なことで変化することを忘れてはいけない、と私は考えています。一方で、変化する世界に対して、人間は苦しみながらも長い年月をかけて順応していくことができる生き物でもあります。時の為政者のあり方や我が身の不運を嘆くことは簡単ですが、いち庶民の私たちがすべきことは、目の前の日々を淡々と生活していくことしかない、と私は心がけています。それこそが「人類の繰り返してきた歴史」ではないでしょうか。
発達障害は、今回のような社会変革に対応するための「遺伝子の保険」だと私は捉えています。遺伝子は、自らの生き残りのため、あらゆる変化を想定して数パーセントの「変人」を、常に集団の中に存在させているのではないか。そう考えると、コロナ禍による社会の変容は、一部の発達障害者にとっては「僥倖(ぎょうこう)=思いがけない幸運」となる可能性があるということです。
 とはいえ、今から特別なこと始める必要はありません。ステイホームによって生じた時間を有効活用して、「自分の内面との対話」をオススメします。自分との対話のテーマは「今の自分に出来る事とは?」もしくは「敢えてしない」「意識してやめる事はないか?」がよいと思います。これからのご自身の判断基準を、自分の内面と相談して決めていく。もちろん状況に応じて判断を変更していく。世間の常識や誰かの基準で物事を判断するのではなく、自分との対話によって自分で決める。過去の歴史において、特異な遺伝子である発達障害者たちは、世間が思いもよらない非常識な発想によって、新しい時代を創造してきました。これは「令和コロナ時代」においても、普遍の法則ではないかと私は考えています。
「ダメで元々。万が一でも上手く行ったらラッキー!」
「そもそも生きているだけで超ラッキー!死ぬこと以外はかすり傷」
「毎日どんな風に生きていても、幸運と不幸はもれなく落ちてくる」
という心構えで、私はコロナ禍でも毎日を能天気に生きています。